「貧中閑話」

 司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズの内、1.6.8巻が古本屋に申し訳なさそうに並
んでいた。ボクはその三冊を買って旅に出た。押さえがたい衝動があっての旅ではない。
 暇が出来ると家にじっとしていられない癖に加えて、云うに云われぬ、実に情けない理由
もあっての旅である。

 2週間程前、右手の中指の生爪剥がした。爪の左端が2ミリほど生身につながっており、
靴底と甲の部分が剥がれて、かかとの部分だけが繋がっている登山靴みたいにバクバクして
いる。何かに引っ掛かって剥がしてしまわないように絆創膏でとめている。
野外生活には大変不自由である。
そのうえ、銀行のキャッシュカードを紛失してしまい、届けを出したままである。
あるだけの現金をポケットに家を出た。

 とにかくお金が無いのでウロウロ出来ない。冬場時々使う鳥取関金温泉の自炊宿に電話し
てみた。平日なので空いていた。後半に土日が入るので思い切って一週間連泊することにし
た。宿代を前払いすると二万円程しか残らなかった。

 寒波が来て、日本海に雪でも降れば、丹後半島あたりまでなら日帰りで行けるだろう、と
思っているのだが、未だ寒波は下りて来ない。 
一日中風呂に入ったり出たり、敷きっぱなしの布団に潜り込み、亀のような恰好で「街道を
ゆく」を読んで、ウトウトしたりしている。

 「街道をゆく」は、何の知識も持たず日本中を旅したボクの、へえーとか、そうだったの
かを補填してくれる。中に出てくる街道も、ボク自身大抵歩いているので、結構楽しい本で
ある。

 飽きれば30分ほど車を走らせて蒜山の雪景色を描きに行ったり・・・と結構なもんであ
る。(とてもこんな生活の出来る状況ではないのだが)

 「街道をゆく」の熊野・古座街道編に、司馬さんを案内した地元出身のKさんの話がある。
「サンパツ屋もそうです。当時、古座川のカワタケ七カ村にはサンパツ屋が上流の真砂に一
軒しかなかったものですから、たいていの在所在所の者ははるばるこの古座町まできて頭を
かったのです。・・・ともかくサンパツ屋というのは大変な文明機関でした」
というくだりである。

 その話を読んでいて、随分と昔、ボクが頼まれてポスターを描いていた、岡山にある劇団
の女の子たちのことを思い出していた。
 まだ赤テントや黒テントなどの全盛期で、彼女たちの劇団も相当怪しげなアングラ劇をや
っていた。

 舞台で過激なことをやってのける女の子たちも、聞いてみると辺鄙な僻村から出てきた子
が多かった。そんな彼女たちが一杯飲むと、よく田舎自慢をした。
「ウチ(この場合、ウチは彼女たちの育った町や村のことである)には映画館があった。」
「ウチにはパーマ屋さんがあった。」
「いやウチには「百貨店」があったでェ。」
などの自慢が飛び交うのをじっと聞いていた、女の子が最後に、
「ウ・ウチには喫茶店があった」と低い声でぽつりと云う。岡山県が鳥取・島根・広島と角
を突くように県境を接する村から出てきた彼女にとって「喫茶店」は他のなによりも大変な
文明機関だったのである。
田舎自慢はいつもそこで勝負がついた。

 冷え込んできた。天気予報では明日あたり、今年最大の寒波がやって来て、日本海側は大
雪になるらしい。一風呂浴びて体を温め、晩飯の支度にでも掛かろうか・・・。
 それにしても大雪の上、大荒れだそうである。ボクが大好きな浦富から丹後半島辺りまで
の、断崖連なる山陰海岸、走れるだろうか。
実は誰にも内緒だが我が自走庵、あのあたりで一度波に持っていかれそうになったことが、
ある。

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