「どじょう鍋」

 この頃、近所のスーパーの鮮魚売り場でも、水を張った桶で売られる活きドジョウを見
るようになった。
子供の頃、めし屋や魚屋の店先に置かれた大きな水瓶の中で、泥を吐かす為に入れられた
どじょうが、水面に浮いては泡を一つ吐いて沈む様子を、飽くことなく見ていたものであ
る。
 ドジョウと言えば丸まま葱と煮たドジョウ鍋や、ささがきゴボウと卵でとじた柳川鍋が
お馴染みだが、ボクにはドジョウ食について強烈な思い出がある。
 
 小学生の頃だったろうか、県北の田舎町に嫁いだ姉を訪ねた、冬休みのことである。雪
深い土地で、瀬戸内育ちのボクには、囲炉裏や、天井に顔出している二階間の掘り炬燵の
釜尻など、雪国の生活様式全てが物珍かった。更にボクを驚かせたのは、その夜出された
ドジョウ鍋であった。

 囲炉裏に吊された鉄鍋に水を張り、昆布一片と生きたままのドジョウ20匹ほどが放さ
れた。鍋の水がだんだんと熱くなりドジョウが悶絶し始める頃を見計らって、大きな木綿
豆腐一丁が丸まま鍋に放り込まれた。ドジョウは手品のように一瞬のうちに冷たい豆腐の
中に潜り込み、鍋の中には豆腐だけが残った。
 そのままくつくつと煮られた後、奴に切られた豆腐が椀に入って出て来た。豆餅の切断
面に似て、ドジョウの胴体が白い豆腐に水玉模様のようであった。ボクの記憶はそこで途
絶えている。

 どのようにして食べたか、どんな味だったかの記憶は全く無い。
 大人になってからドジョウを食べたのも二三度きりで、近頃柳川といえば、牛や豚を代
用にした柳川もどき鍋ばかりである。スーパーで笹の葉など浮かせた木桶で、じっとして
いるドジョウを見ていると、買って帰って、あの鍋を試してみようかと思ったりする。
が、様々な事情を鑑みて未だ実行していない。
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