『白い蝶』

 ボクがこの病院に急遽入院してから1ヶを過ぎた。
かなりトホホな進行性食道癌である。食道が塞がれて一切の食べ物が喉を通ら
ないのである。辛うじて胃に入るものは水のみである。せめて水が喉を通る道
を確保するため、食道にステントと呼ばれるパイプを挿入して胃に通している。
後は24時間点滴の欠食生活である。

 空腹とはは情けないものである。
ボクはふと、父が腸閉塞で長期入院した中学生の頃を思い出した。父は印刷工
で、当時中古の活版印刷機を買い、小さな印刷工場を立ち上げたばかりであっ
た。何時も運というものに縁のないオヤジであった。その顔には肉付というも
のがとんどなく、貧乏神を絵にしたような顔をしていた。

 一回り以上歳の離れていた姉は嫁に行き、家には中学3年の兄と小6のボク
と小3の妹がいて年老いた母がいた。残された借金と、突然なくなった生活費。
嫁いだ姉には相当無心したようだったが、プライドの高さから、父は生活保護
を受けようとしなかった。

 残された母子の自給自足生活が始まった。中山間地域だったので、多少の菜
園があった。ジャガイモやカボチャやトマト、トウモロコシ。裏山にはキノコ
が沢山生えていて、池や川では魚や海老が沢山捕れた。薪はふんだんにあり、
それはそれで結構楽しいサバイバルであった。

 ただ現金収入が無かった。新聞配達、 アイスクリームの配達、ボク等は兄が
飼っていた伝書鳩の卵を食べ、鳩は絞めるわけにいかず、鳩舎から外に出して
やった。鳩は二週間ばかり家の周りを飛んでいたが、やがて何処かへ行ってし
まった。

 小学校までは給食があったが、中学に進級したその年から弁当持参となった。
農村地帯だったので、周りは皆農家の師弟であって、時説柄とはいへ、米のな
い家などなかった。弁当を持って行けぬ昼休み毎、ボクは家へ食べに帰ってく
るといって、教室を抜け出て校庭の隅に座っていることが多かった。

鉄棒が並んでいる校庭の奥に、猟師の家があり、物干し竿にはよく、大きな猪
の生皮が一枚二枚広げられていた。その黒い大きな影の中に白蝶が舞い込んで、
いつまでも上になり下になり、黒い影の中にチラチラと戯れていた。眼が慣れ
てよく見ると猪の脇腹に撃ち込まれた、二発の銃創の孔から漏れる木漏れ日で
あった。 ボクは始業の鉦がカランカランと鳴るまで、その至福の光景を眺め
ていた。

その前夜、兄は初めてもらっ給料で、ボクたちにラーメンを喰わせてくれた。
スープまで平らげてしまった暗いラーメン丼の底で、カンテラに照らされたス
ープの名残がチロチロ戯れるさまを涎を垂らしながらいつまでも眺めていた。
そして兄は無事中学を卒業した。当然登校日数の不足や単位に齟齬が起きてい
のだが、ふだんおとなしい担任教師は突然を目を覚まし、ヨシと立ち上がり、
快刀乱麻の如くすっぱりと形を付けてくた。そうしてボクも晴れて中学へ進級
できた。

*花降るや猪撃つ音の遠くして・・・一太

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