『僕の細道』 昨年中頃から、食べ物が喉を通り難くなった。水で飲み下して誤魔化していたが、意外なものが やって来たかなと思われた。症状が現れた時にはもう手遅れ、といわれる食道癌。物が食べられ なくなる食道癌をボクは全く予期していなかった。近頃とみに頻発する不整脈からくる脳梗塞か、 肝硬変かでポクリと逝くだろうとたかくくっていた。ところがそう甘くなかった。元気なのに食 べ物が喉を通らないという、ボクにとって最悪の結末になりそうなのである。 *明けぬれば靴下沈む鍋の底 *熊撃ちの家かたぶける春北風 *泣けるほどに水仙のいとしと思へけり *七草や野辺のけむりの低く這い 正月、Kと鳥取県日野宿に蕎麦を食べに行った。そこでボクは食道に詰まった蕎麦をKの前で眼を 白黒させて吐いてしまったのである。隠してきたことが、暴露されてしまった。 *雪踏んで堅雪かんこと云うてみる *偏屈を生きて肘はる一人鍋 *冬ざれの野辺に鬼火の二つ三つ *憂きことを一つ忘れて日向ぼこ しげとし先生に、食道に食べ物が詰まるとずっと以前から訴えてきた。ある日先生は何か思い当 たったのか、顔を真っ赤にしてしばらく沈黙した。待合室で食道癌のことを読んだばかりなので、 ボクはその時察していた。しばらくの沈黙のあと、先生は腸にガスが貯まって逆流性胃炎を起こし ている、と怒ったように言った。日赤に行って胃カメラを飲めと云わない先生の言葉に甘えて、そ のまま日を過ごして来てしまっていた。だんだん食べられなくなり、見る見る痩せていった。 *この冬や痩せれば人のなにやかやと *初鳴をきいて遍路の旅支度 *山門を入れば真っ赤な椿ひとつ 意を決して、一人岡山日赤へ行き診察を受けた。レントゲンを撮ると、やはり末期的な進行性食道 癌であった。内視鏡検査の前の週末、Kを誘って森林公園から蒜山へドライブして鏡ヶ成国民休暇 村に泊まった、夜通し峠を越える春雷が荒れ狂う一夜であった。 この夜Kが宿で撮った、酔っぱらってVサインするボクの写真を、入院前夜、ホームページ仲間に アップすることになる。 *あうあうと峠に押せる春北風 *月よ星よしばし巣籠る蓑の中 *行く先に灯もなかりけり冬の霧 散髪し丸坊主になった。その夜から何十年も飲んできた焼酎をサントリーオールドに替える。 Kは何も云わなかった。 *春の宵この期ばかりの隠し酒 *風呂吹を透かして覗くいのち哉 内視鏡検査で、進行性食道癌があちこちのリンパ節へも転移していることが解った。食道癌が心臓 大動脈を浸潤していて、外科手術も放射線治療も手遅れだそうである。5月の大型連休前に入院と いう手筈になった。その前の土日、今度こそ最後の旅と思い、満開の新庄桜経由で丹後半島まで足 を延ばした。途中日野宿の蕎麦をなんとか納め、浜坂温泉の宿の食事もやっとの思いで詰め込んだ。 *千年を生きて優しき花曇り *花降りて一期の海の蒼さかな 翌日、朝食は食べられなかったが、大好きな山陰海岸国立公園を走った。平家落人の崎岬にはまだ 桜が残り、逆巻く白波と群青の海にしきりと散り降っていた。 *落人の落ち行きし果ての桜散る *春雪や小江に重ねる漁夫の屋根 *吊されし頸なき鶏に春の雪 だがそこまでであった。城之崎のコンビニ弁当で軽い昼食をと思ったのだが、激しく嘔吐して昨夜 食べたものまで吐瀉してしまった。ボクの体力も限界であった。日和山からKに運転を替わっても らい播但道に入り帰宅した。 出発前に食べ残して行った、アミと大根の炊き合わせが旨かった。これが最後と思う焼酎が喉に染 みた。その夜ボクは病気のことをKに打ち明けた。知っていたと肩を小刻みに震わせた。 *花降るや罪ばかりなる罪ばかりなり *わななける小さき肩に朧月 *菜の花や廃屋が壁のプロマイド CT検査してバリウム飲んで、宇宙飛行訓練士のようにグルグル回されて喉から胸へのレントゲン を撮り、2007年4月23日ボクは岡山日赤病院に入院した。 *鶯や宿なき島の終い船 *語られぬ湯殿の形身花衣 *春隠や枕辺に一つ白き薔薇 4月25日 食道癌は大動脈に浸潤し、転移したリンパ節は胃壁に潰瘍を作り、外科手術も放射線治療もリスク が大きすぎ出来ないということである。とりあえず食道確保のためステントというパイプを埋め、 胃の潰瘍部を電気で焼くことになる。 苦しい検査を終え七階病室に戻ると、同室の人が窓を覆う飛行船の影に驚きの声をあげた。 *行く春やもの憂く巨き飛行船 *巨き日を街にねじ込む黄砂かな *うたかたと思へばおぼろ窓の月 4月26日 今日は、内視鏡使い食道にステント留置の手術。死ぬおもいであった。 病気の環境の中にどっぷりと首まで浸かり、欠食させられ、毎日のようにキツイ検査を受けている と、いよいよ病人モードになってくるものだ。 部屋は四人部屋で、末期病棟だけに様々な人生模様がカーテン越に聞こえて来る。 *うらうらとこのまま閉じる午睡かな *草草の色々花や癌病棟 4月27日 空腹は情けないものである。 ふと、父が長く入院した中学時代のことを思い出す。 弁当持って行けぬ昼休み、教室を抜け出て校庭の隅に座っていると、眼の前の猟師の庭に、大きな 猪の生皮が吊されていた。その脇腹あたりに十円玉程の孔が開いていた。黒い影の中に陽の光が ちらちら蠢いていた。その夜、中学を卒業した兄が、初めてもらった給料でラーメンを食べさせて くれた。久々に旨い物をいれて、ボクは腹をこわしてしまったのである。 *花降るや猪撃つ音の遠くして *点滴錫の長廊下行く聖五月 4月28日 真夏日であった。入院以来初めて外へ出てみた。庭の欅若葉が薫りやかにそよぎ、平戸ツツジが赤 い花をまばらに咲かせていた。蕾の一枝を手折り、病室の小瓶に生けた。こんなことが入院者の季 節である。 *ふと見ればおもゆに映る紅つつじ 4月29日 今朝から重湯食。重湯と実の入っていないみそ汁。昼はみそ汁の代わりにカップに入ったポタージ ュスープ。なまじ食べて、ようやく馴染みかけた空腹感を思い出されるほうが怖いようなものであ る。となりのベッドにいた、ライオンのような鼾をかくオヤジ、退院していった。 *一人来て一人去り行く花の暮れ 4月30日 点滴チューブから解放されて、初めて病院の風呂に入る。横向きに二人座れる小さなステンレス浴槽。 やや気味悪し。 *浅きゆめ雁風呂召せと海夫の妻 5月1日 鼻から入れる細い内視鏡でステントの収まり具合見て、胃の奥まで覗くとリンパ節に転移している 癌が肥大して、胃壁に潰瘍をつくり出血している。と云うことで、太い内視鏡に差し替え電気で焼く。 喉の奥から人を焼く臭いが込み上げてくる。鎮痛剤をオキシコンチンというモルヒネに替える。 *山峡のあれは人焼く煙かや 5月2日 すっかり余剰エネルギーも使い果たしたのか、一日中眠い。本読む気も起こらず、テレビイヤホン を付けたまま一日中うとうと。 *茅花吹く植田や殿のねむた顔 5月3日 今朝重湯に替えたら、午後から高熱が出て再び点滴。40度程の熱でかいた汗、死臭に似る。 *聖五月死にゆくものの臭いして 5月4日 熱、朝方ようやく38度まで下がる。 *薬籠に百草丸あり陀羅尼助もあり 5月5日 福本医師より、今後の治療について家族に説明したいと云われ、Kには出来るだけ遅くまで、希望の 無い現実を知らせたくないので、兄にだけ連絡した。ところが夕方兄嫁も含めK、長女Tの四人揃っ てやってきた。医師から兄に、本人に説明する前にお兄さんだけに話しておきたいと電話があり、兄 は本人に直接話してくれと拒んだそうな。それで何時までも隠しておけるものじゃないからと、Kと Tにも来るよう電話したという。 *山道を横切る蟇の時間かな 5月6日 一日中オーイオーイと思い切り声張り上げておらんでいる声が聞こえる。 おらんでいないときは怒鳴り散らしている声。やくざ者らし。 *おいおいと呼ぶ声ありや浅茅原 5月7日 これまでの俳句、季分けして大幅に取捨して「ボクの細道」として纏めはじむ。 *葉桜やいくところなき雲一つ *義経の赤糸威楠の風 5月8日 *くいなしといへど浮藻の糸とんぼう 5月9日 ステント留置後、はじめて形あるもの食べる。売店で買った「どらせんべい」。うまかった。 ボクより一日遅れて入院してきた同室のひと、容体が急変して他室に移る。 *オンコロコロ唱えて願うこともなし 5月10日 今朝から重湯。うんざりするメニューなり。ゼリー状カロリーメイトやクッキーで栄養補給。 *うらめしき皐若葉や猫まんま 5月11日 今朝から三分粥。おかず少しつく。 *おやべてふ赤提灯もあり鞆の露地 *三分粥におかか諸味の手弁当 5月12日 体調よく、五月晴れの空、近くのジャスコまで買い物にいく。 醤油とおかかパックとおかず味噌をどうしても手にいれかった。 Tシャツ二枚とともに買ってきた。 少々疲れて、午後から38度前後の熱が出た。 *ハタと落ちて蝉死に行くや俺が腹 5月13日 朝、熱ようやく下がる。睡眠薬のんで2時間ほどして、隣のオヤジが大声出して騒いだので目が覚め て、眠れなくなってしまった。追加で飲んだ睡眠薬が一日中残って、夢うつつである。 *ながらへて意味問う意味もわすれけり *色即是空空即是色日が暮れて 5月14日 *見るだけと三途の川の渡し口 5月15日 体重測定日。54.5kg えらい痩せたものである。体重に比例して体力の衰え著しい。一階の売店に行っても息があがる。 こうして起きている時間がだんだん少なくり眠りに入っていくのだろうか。 *夢醒て古傷かいや家の風呂 5月16日 夕べは睡眠薬替えたのだが効かなくて、遂に朝まで眠むれず。 ひたすら眠い。 いまこの部屋に残っているのは、死ぬばかりなることを知っている爺さんばかりだ。 死が受け容れがたく医師や家族に一日中ぐじぐじと文句云っていた爺さんは、突然容態が急変して 部屋を替わっていった。 ひたすら看護婦に消え入るようなあわれな声でありがとうございます。お世話になります。近くに 居てくださるだけで有り難いことです。済みません。とトイレに連れて行ってもらっていた爺さん。 消灯時間過ぎるときゅうに大きな声欠伸したり、でかいくしゃみをしたり壁をどんどんと蹴ってい たが、昨日退院していった。 *老爺はいわずもがなを垂れ流し *ドクダミの花や更地の元の主 *密やかに音軋みたり天の河 5月17日 一日中眠くテレビは付けてるものの 夢現である。何の変化も無いはずのボクの記憶に花を見に行った り、旅をしたり、懐かしい友と会うた記憶が、それはもう桃色に近いほど鮮やかに混じり合っているの である。 *しあわせな朧のかすみや夢うつつ 5月18日 先生きょうから又欠食と点滴に切り替えという。 あのまずい餌たべるより、点滴の会い間にウイダーでも飲んで居た方が。余程人間の尊厳が保たれよう いうものだ。尊晴さんから手製の「俳写 50景」が送られてきた。うらやまし、僕だって本の一冊だ ってあっていい。 5月21日 昨夜マイスリー2錠飲んで寝て、夜中にはっと目が覚め夜が明けたと錯覚、まだ2時であった。新しく 処方された眠剤もう一錠飲んでトイレに立とうとしたら、全身に体支える力が無く、しりから床に落ち、 しばらく起きあがれなかった。眠剤多く飲んだ時にはこれがあったのだ。注意しなければ。 体力の凄い衰えを感じる。座って30分も字を書いたりパソコン使うと、もうぐったりとして座ってい られない。だといって仰向けに寝ていると猛烈に背中が痛くなってくる。 *生き死にも朧となりし午睡かな 5月22日 明日で入院1ヶ月になる。治癒することも症状が楽になることもない病なのだ。 ただ日々体力が衰えていき、痛みを軽減するための薬の量を増やしていくだけだ。 医師が兄にだけ告げたかったのは、そのことだったのだろう。 もう1日2日でも娑婆に戻り、Kと旨い者を食べ、楽しい旅がしてみたかった。 心を強くもって、薄れいくいのちの灯をじっと見つめていこう。 *さりさりと葉色を愛でる余命かな *躙り夜を禅問答の案もなく 5月23日 医師がエキソコンチンもう一錠増やしますかというので、そのようにして下さいと答えた。 このように覚醒時間を少しずつ短くして、苦痛すくなす、静かに生の残り火を見つめていられたらいい。 6月1日 夕べ食べ物戻し、今日内視鏡飲み、来週にもステント胃まで延ばすことに。 そのようなことは書くまいと始めた「ボクの細道」結局治らぬ症状のことぐだぐだ書いてばかりいる。 止めた止めたもう止めた。 6月3日 昨日今 |
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