「銀河鉄道の夜のように」

 見開いたままの父の両の眼には、小さく切った濡れガーゼがかぶせられていた。医師が
何度めかの心臓マッサージを始めたときボクは「先生、もうこのまま逝かせてやって下さ
い。ありがとうございました」といった。
 ようやく死期を察した父に、何度も「死なせてくれ」と訴えられていた。家族の間に嗚
咽が漏れ、伝播したように医師や看護士さんたちも涙を流した。

 父の病気が、既に末期の肺ガンであることが分かり、半年ほどの入院の後、今は医者と
してすることがないのでと、一度家に返された。すこし呆け始めていた母には父の病状に
付いては知らせなかった。
 そんな朝、母は仏壇の前で祈るようなかっこうのまま、ぽっくりと死んだ。心筋梗塞で
あった。僕達に「けして人様に迷惑掛けるな」が口癖だった母の、潔い死であった。通夜
に駆けつけた親戚たちは、父が死んだとばかり思っていたらしく、一様に仏前に座す父の
姿を見てぎょっとした。

 まもなく父は再度入院した。死の病棟と言われる5階、末期ガン患者病棟であっった。
そこは24時間の付き添いが義務付けられており、昼間は姉が、夜はボクと兄が交代で泊
まり込んだ。肺ガンは意識が正常なまま、激しい苦痛をともなって死に向かていく。
 父の死までの長い長い3ヶ月であった。
 5階の長い廊下のまんなかにソファーが置かれた休憩室があり、夜毎、看病に疲れ切っ
た付添人達が幽霊の様に集まった。
「早く死んでくれんとこっちが先にいっちまう」いつも誰かがそんなことを洩らした。誰
もその言葉をを咎め無かった。ウチのように交代で付き添える家族が居る家は、まだいい。
たった一人で付き添う人は本当に気の毒だった。ただ誰にもそれを助けられる人はいはか
った

 病院は駅近くにあったので、新幹線の高い高架を行く列車が、休憩室の窓から見えた。
夜汽車は、病院の前を過ぎるとやがて暗い田園地帯に遠のいていった。
「銀河鉄道のようじゃ・・・」と誰かが呟いた。列車のオレンジ色の窓には小さな人影も
見えた。皆は重い沈黙の中で、宇宙の闇に消えていく列車を見送った。

 父は真夏の暑い盛りに死んだ。父の通夜の夜、それまでの疲れもあったのか、泥酔した
ボクは、父の棺桶に寄り添うように寝込んでしまった。夜中に「一太!一太!」と叫ぶ姉
の声に呼び起こされた時、父の棺桶を冷やしていたドライアイスが畳まで凍らし、ボクの
左半身をバリバリに凍り着かせていた。姉は、すぐ風呂に入れてボクのカラダを溶いてく
れた。
 
 その姉に子宮ガンが見つかった。既に脊椎に転移し、若いだけに進行が早く、もうどう
にもならぬ状態であると知らされたのは、父の死後一年もたっていなかった。
 父の死を目前に看てきた姉は、医師からはっきりと告知を受け、己の余命を知っていた。
それでも夫や息子達の為に、つらい放射線治療もうけ、髪の毛は抜け、ふっくらしていた
体も痩せ細った。
 ボクは姉が好きだといった「モーツァルト」のチーズケーキを、まるでバカの一つ覚え
の様に買って見舞った。

 ガンの告知なんてしない方がイイ。ボクは姉に喋る言葉もなく、行く度にただただ泣い
た。気丈な姉は、身辺を整理し、自分亡き後の細かな指示を家族に残し、形見分けまでも
キチンと仕分けして、微笑むように死んでいった。小学生の頃、母の替わりに参観日に来
てくれた時のように、綺麗な顔だった。

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