「H先生」
 
 宇和島駅のプラットホームで僕らは一瞬凍り付いてしまった。
 この旅は中止になった、とウソをついて置いてきたH先生が、どんよりと重い雲が垂れ
る、宇和島駅のプラットホームに立っいたのである。 

 その十日程前、飲み仲間の溜まり場となっていたスナックで、ボクは同業で親友のN君
を、宇和島の海に潜りに行こうと誘っていた。仕事以外に趣味と言うものを全く持たぬN
君を、これまでも瀬戸内の島にキャンプに誘ったり、山陰の海へ素潜りに連れ出していた。
 今回は、宇和海の西海鹿島海中公園で珊瑚礁に遊ぶ熱帯魚を観に行こうというのである。
そこへN君の高校の恩師であり、ボクの年長の飲み友達でもあるH先生があらわれた。
「ワシも連れて行ってくれ」ということになり、その場でスケジュールが出来上がった。
 瀬戸大橋が掛かるずっと以前のことである。3泊4日の汽車旅でということになった。

 翌日、ボクはN君から別の飲み屋に呼び出された。
「昨夜は酒の勢いでああいう約束をしてしまったが、俺はH先生とはどうしても一緒に行
きたくない」というのだ。
「恩師と一緒じゃ、折角の休みに疲れにいくようなものだ。なんとかH先生を巻いてくれ」
というのである。
 しかたなく、次の日H先生に電話して、N君が仕事の都合つかなくなり、申し訳ないが
今回の宇和島行きの件、没にしてくだされと、平身低頭で断りをいれた。
「ウムウム」とH先生は承諾してくれた。

 数日後、ボクとN君は、予定通り出発した。その日は宇和島に1泊し、翌日バスで西海
町へ行き、渡船で鹿島へ渡った。当時四国はとても遠い国だったのである。
 鹿島の民宿に2泊して、ボクらは海底の岩間を這うウツボをヤスで突き「H先生そっく
りじゃー」などと浮かれて、コーラルブルーの海で思う存分シュノーケリングを楽しんだ。

 4日目の朝、島を出てバスで宇和島駅に向かった。予讃線から乗り換えなしで高松まで
帰れる便は、宇和島発の特急が日に1〜2便ほどしかなかったようにおもう。
 昨日までの好天がウソのように、妙に暗い宇和島駅のプラットホームでボクらは汽車を
まった。
 ようやく特急列車がホームに入って来たとき、ボク等は見た。
 ホームの端に、ザック担いだH先生が立っいたのである。目の前を真横に走る稲妻に遭
遇した時のように、ボク等は一瞬にしてフリーズしてしまった、
 「やっぱり来とったかな」H先生は事の経緯を全てお見通しのようであった。さすがに
「大人(たいじん)」と渾名されたH先生。がらがらの始発列車に中で、通り掛かった車
内販売のビールを買い「再会のビールじゃ、飲め」とボク等にも勧めた。
 ボク等は「N君の仕事が意外にはやく片づき」などと、ウソの弁明をするのも愚かすぎ
る気がして、黙って差し出されたビールを紙コップで飲み下した。
「で、先生はどちらへ?」とボクはやっとの思いで聞いてみた。
「ワシは嫁さんに、教え子等に振られたとも言えんので、予定通り出発して足摺で一人潜
っておったがの」。
 H先生は高校で山岳部を指導し オーダーメードのウエットスーツを持つ野外遊びの先
輩でもあった。足摺でナポレオンフィシュにあったことを、さりげなく話してくれたが、
3泊4日の行動や、足摺からなら高知経由の土讃線のほうが近道だろうに、何故宇和島駅
に居たのかについては全く触れなかった。こちらから聞くすべもなかった。
 H先生も随分と気まずかったであろうが、一番気まずい思いしたN君は、岡山までずっ
と一人でおどけてみたり、笑えぬジョークを連発したりで、宇高連絡船に乗り換え、岡山
にたどり着いたときには目の下に隈が出来るほどやつれていた。

 それから何年か後、N君は事務所に数人のスタッフを入れ社長になり「お前等とはもう
遊んでおれん」と仲間から去っていった。
 あの一件以後もH先生とボクの永い永い付き合いは続いている。H先生を誘っての旅は
いつも大変な思いをさせるれるのだが、ふと思い出したように「いっちゃん(一回り以上
年の離れたボクをH先生はそう呼ぶ) には一度騙されたからなあ」と、H師は今ものたま
うのである。
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