「屋久島・平内海中温泉」

 「秋の航一大紺円盤の中」いつか読んだことのある中村草田男の一句が、大きなフェリ
ーで海洋に出たボクの心を震いいたせていた。船が大隅半島の先端を抜けると、薄い靄の
せいか、上空は晴れているのに視界から一切の陸地も島影も消え、ただ船を中心にした一
大紺円盤の世界があるばかり・・・フェリーは4時間で屋久島に到着した。

 ほぼ円形の島の最南部に、満潮時には海中に没してしまうという秘湯、平内(へいない)
海中温泉はある。温泉を見下ろす崖の上に車4〜5台分ほどの駐車場があり、大きなガジ
ュマルの木が心地よい木陰をつくっていた。幸い直ぐ近くにログハウス風の新しいトイレ
まであり、分かり難く、車が滅多に車が入ってこないこの場所にボクは、この年の正月休
み居すわろうと心にきめていた。
 島は車で2時間半もあれば一週できる。風呂は日に2度の干潮時にしか入れないが、無
料である。20分も走ればAコープもあり、延命水といわれる名水も沸いている。

 盆正月、家族からはぐれた者は世間からぽつり取り残される。正月は雪のある景色の中
で一人過ごすのが長い間の恒例であったが、この年、珍しく南国に心惹かれ、屋久島まで
我が自走庵走らせてやって来た。冬だというのに暖かく、ブーゲンビリアやハイビスカス
の花が赤や紫に咲き乱れ、孤独者を慰めてくれた。
片意地張って若ぶってはいても結構な
歳のオヤジなのである。
南の島の暖かさが、縮んだこまったオヤジの心を ゆるゆるとほぐしててくれた。
そして何よりも、
直径30キロメートル程の島に1900メートルを越す峯が7つ、1
000メートルを越す峯が40座もひしめくこの島の魁偉な景観が旅人の心を圧倒した。

 平内海中温泉は、小さな集落の崖下の岩場にある混浴露天風呂である。満潮時は海中に
没してしまい、岩場に向かって一直線に降りていくコンクリのスロープが、虚しくあるば
かりであった。スロープが海に沈み込む満潮線の位置に白線が引かれ「これより先土足厳
禁、水着、タオルの着用禁止」とペンキ書きされている。ヨシヨシ。
 2日目の夕刻、風呂の様子を見に降りて行くとスロープの上にバイクが一台止めれれ、
ライダースーツの人影が湯加減をみていた。「入れそうですか?」と声を掛けると「まだ
ぬるいみたい」と振り向いたのは、うら若き女性であった。東京の聾学校の美術教師で、
宮乃浦の民宿に宿を取っているのだが、温泉大好き人間、この秘湯には是非入りたくてと
いうことだった。二人とも、もう一度絵描きの目でモノをみようと、この旅にはカメラを
持たずにきたこと、「でも私、使い捨てカメラ買っちゃいました」と偶然が重なる話が弾
むうち、潮が引き、三段構えになっている湯船の、一番上の湯船がようやく全容を現した

 「まだ少しぬるいようだけど、そろそろいいかな」とボクが立ち上がると「じゃあ私も
入ろう」と彼女。それぞれ車とバイクに戻って湯支度。なにせ脱衣所もない。彼女が服を
脱ぐ時間を考慮して、すこし間をおいて降りていくと、彼女はもう肩まで湯に浸かってい
た。なんと行儀よくバスタオルも巻かぬ全裸ではないか!。湯はまだ海水が多く残りかな
りぬるい。「ここが温かいですよ」と源泉が湧く自分の側に誘ってくれた。見上げれば漆
黒の空に無慮千億の星。新月でありながら白夜のように明るく空を満たす星。スバルやヘ
ラクレス座の球状星団が本当に大きな星の固まりに見え、オリオン座は三つ星とM42だ
けが星座として認識でき、ボクが知る星座の殆どは濃密な星々に埋没して探すことさえで
きない。
 夜空に星はこんなにあったのだ。そして彼女の白い裸身はまるで≪有機交流電燈のひと
つの青い照明≫のようにボクの傍らでせはしくせはしく明滅していた。「屋久島の海中温
泉で見知らぬオジサンと二人きり、いろんなお喋りしながら混浴したなんて、友達に話し
ても信じてもらえないですよね」
 僕達は2時間もそうして露天風呂に入り、いつかまた、どこかの秘湯で会えたらいいね
と別れた。ボクの顔面に張り付いた不可解な微笑みは自転軸をはずれた化石のように何時
までも消えることがなかった。

 平内海中温泉をベースに大川の滝、屋久杉ランド、紀元杉、千尋滝、仲間の大ガジュマ
ル等観光した。屋久杉ランドの西郷さんのように眉の太いオジサンに縄文杉へのルートを
尋ねると「縄文杉へは山やっているもんでん片道4時間半かかりもす。ましてこん日のみ
じかか時季、一人で行くのは危なか、遭難ちゅうこともごわんで」と止められた。その当
時ボクは山登りなどに縁のない柔弱な大呑兵衛であった。
 
それにそう動き回ることもなかった。日に2回の温泉はボクを充分楽しませてくれた。
昼間は島の老人達や観光客で賑わい、夜は正月休暇で帰省した島民や登山客でにぎわった。
ライダーのお嬢さんと二人きりの混浴は、一般の人の休暇が始まる少し前のことで、奇跡
のような出来事だったのである。
 島の古老達の自慢はこの湯の効能である。「もう何十年も昔んこつ、リュウマチで手足
が棒んごつ細うなった人が大学ん先生に戸板ば載せられて連れちこられ、戸板ごつ湯に浸
けられておりもしたが、そんうち後頭ばヒョウタンくくりつけ、汐が引いとる間中毎日毎
日こん湯にぷかーと浮いておりもした。2〜3ヶ月もおったかのう。そんうちそん病人は
自分の足で歩いて帰りもしたが」

 湯から上がり駐車場への坂道をのぼっていくと、ガジュマルの根に抱きかかえられた大
きな岩の上からジャージャーとかすれた声でなくのもがいた。痩せて汚れた小娘猫である。
撫でてやると下りてきてボクの足元にしきりに体を擦りつけてきた。そのま自走庵に付い
てきたので抱き上げて体拭いてやるとブルブルと震えていた。庵に入れてやり三角チーズ
を一つ剥いてやるとハフハフと食べ、猫の作法通り、一口分だけ食べ残して猛然となつい
てきた。ボクの体のあらゆるところへ顔をすりつけ体を擦りつけ、あぐらかいた股の間に
潜り込み、肩によじ登り、あげくにはゆるんだセーターの袖口に顔を押し込み中に押し入
ろうとするしまつ。やっと落ち着いてあぐらの窪みに収まって、今度はうるさいほどおお
きな音でゴロゴロモミモミ。これが細い爪を立てるものだからけっこう痛い!。どうやら
すっかり居着かれた感じである。ドアを開けて寝ても寒くないし、綺麗にしてやると混浴
した彼女に似てなくもない。

 少し上の方にある、いつもは老夫婦だけの淋しい民家に、此の夜は赤々と全室に灯がと
もり、子供達のはしゃぐ声も聞こえていた。今夜が大晦日の夜であることを思い出した。
紅白歌合戦なんか見ているのだろうか。突然我が膝の上にやって来た猫がたまらなく愛し
い者に思えた。大晦日の夜、ひとりガジュマルの木に下で地焼酎の「五岳」を呑んでいる
オヤジを、きっとこいつは慰めに来てくれたのだ。

 Aコープが休みになり猫と分け合って食べる食事も貧しくなっていった。それでも車で
島を巡って駐車場に帰ってくると、猫はどこからともなくジャージャーと鳴きながらあら
われた。
 ある昼間、風呂に行くと豊満な肉体のご婦人が5〜6人タオルケットのように大きなバ
スタオルを巻いて岩場にトドの群のように横たわっていた。遠慮して自走庵に引き返し、
ガジュマルの下のベンチで心地よい風にウトウトしていた。騒々しい声に目を覚ますと、
先程の御婦人達だ。「わー!ここエエ眺めやわあ。あ、兄ちゃん写真撮してくれはる?」
車の中から驚き顔で覗く猫見付け「ヤアかわいいネコやわー、ええなーネコと旅行やなん
て。(孫に)ほれピーナツやってみイ」と一騒ぎして去っていった。

 島に来て何日になるのか分からなくなっていた。夜中むっくりと起きあがり、用事あり
げに出ていった猫。しばらく近所のトタン屋根をドタバタ鳴らして騒いでいたが、血相変
えて自走庵に逃げ込んできた。ボクの肩に乗ってフクロウのように見開いた目でしばらく
闇の中の一点を凝視していたが、ようやくいつものようにボクの顔の傍でグルグルと眠っ
たようである。
 翌日外から帰ってみると、ボロボロに裂けた耳の巨大な顔した雄猫が駐車場の周りをう
ろついていて、その日から小娘猫は姿を見せなくなってしまった。
 ガソリンスタンドもAコープも閉まったままだし、水道管破裂してトイレは断水してし
まうし、あいつは居なくなるし、そろそろ島を離れる頃合いかもしれないと思った。

 最後の夜の海中温泉はにぎやかだった。大阪から里帰りの二組の中年夫婦と、縄文杉見
て今日山を降りてきた青年。途中で断念して引き返したというニイチャンと白髪頭の地元
のジイさんが満天の星の下でワイワイやっていた。「わし、この島で星見とると地球が宇
宙に浮いた星の一つやちゅうことホンマ実感するワ」おばちゃんご亭主の感慨に無関心で
「あ、ニイチャンそこすべるで、気いつけや」。縄文杉男は山屋の謙譲と自信を静かな口
調にひけらかして「直径5.2メートル、紀元杉の何倍もある巨木が、森の中のやや開け
た場所にでーんと立っているわけですから・・・。大抵の人は感動して涙流すそうなんで
すが、ハハハ・・・僕は感受性が鈍いんでしょうか、凄いなと思うくらいで」。挫折ニイ
チャンと未だ一度も縄文杉見ていない島育ちのジイさんと、憧れを残したまま島を去ろう
というオヤジが一斉に「このヤロー!!」。
 みんなと星に浮かれて2時間も風呂に入った。翌朝、ボクは1枚の写真も写さぬまま島
を離れた。本気で水彩画を始める5年ほども前の話である。
                                       完
close