「おっちゃんの宝物」
信州松本駅近くにN楼という中華飯店がある。ボクが十代の終わり頃、無銭旅行中、1ヶ 月ほど住み込みで働けせてもらった店である。昨年30数年振りに訪ねてみた。果たして同 じ場所に同じ名の店が残っていた。当時行列の出来た人気店に客の姿は無く、代替わりした だろう店はすっかり寂れていた。店で所在なげな様子のおかみさんは、ボクが店を辞め旅立 つとき、木崎湖まで付いてきた高校生だった一人娘だろうか。 当時厨房には男盛りで関西弁の板長と関東訛りの3〜4人の板さん、それに下働きのオッ チャンが働いていた。厨房の真ん中に五右衛門風呂のような大釜が据えられ、かち割られた 豚の頭や大腿骨、鶏の黄色い脚などが、厨房のあちこちから投げ込まれる屑野菜とともに一 日中煮られていた。20Bほど浮いたアクをかき分けると評判のスープが琥珀色の顔をのぞ かせた。 ある日、板さん達のまかないもしているオッチャンに板長が「オッチャンそろそろアレ食 わせてえな」と言った。「いいもんが入っとるか見てくるずら」とオッチャンは店を出た。 2〜3日後「オッチャンもうエエんちゃうか?」と待ちかね顔の板さん達にせかされ、昼 飯時、オッチャンは厨房の奥から口を密封した漬け物瓶を持ち出した。食卓に着き固唾を飲 んで見守る中、いつもは見せぬ得意顔のオッチャンは瓶の口をしずしずと切った。皆は競う ように瓶の中のものをレンゲで掬い取り熱い飯の上にたっぷりと載せた。ボクの茶碗の上に もたっぷり載せてくれた。飴色のワタにまみれて磨りガラスのような透明感を残す烏賊の塩 辛であった。馥郁として芳醇。ワタが熱いご飯にじゅわっと染み込んで上等のバターのよう に甘いのだ。皮を剥いた烏賊はこりっと歯ごたえを残しながら口の中に法悦のメッセージを 残して溶けていった。 こんな美味い塩辛、是非作り方習いたいと思ったが「あれはオッチャンの秘密なんや。わ しらも教えてもらえんのや。人さんの宝物を取ったらあかん」と板長にたしなめられた。 店の人は皆いいひとだった。板長は旅立つボクに選別までくれた。あの2年間ほどの旅で ボクはいい人達にいっぱい会い、いっぱいお世話になった。旅はボクという無知な人間を多 少なりとも豊かにしてくれたと思った。それなのにボクはろくでもない人生を送ってしまっ た。楽しいことばかりに現抜かし、ろくでもない人生を送ってしまった。 N楼で簡単な夕食をすませ、おかみさんに名乗ることも礼を言うことも出来ず黙って店 を出た。結局何も学べなかったのであろうボクの人生がN楼から影のようについて来た。 |
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