「鮒飯」 | |||||||||||
親爺はあれでけっこなグルメであったかも知れない・・・と、この頃想うことがある。 戦後、まだ日本中が貧しかった頃の話である。ボクは三歳上の兄に連れられて毎日のよう に魚獲りをして遊んだ。針と糸以外は全て手製であった。ボク等は手網まで自分で編み、 自家製の柿渋で染めたものである。冬の朝、前夜川に仕掛けていたウナギの延縄を揚げに 行き、寒さしのぎに焚いた稲藁のことで、百姓の爺さんに学校まで追いかけられて朝礼台 に立たされ、春は溜め池にドンコを釣り、夏の夜は石垣の穴に潜むナマズを自転車の発電 器でシビレさせて引っ張り出し、秋になると河口まで8キロ程の距離を自転車こいでハゼ 釣りに行った。もちろん獲物はすべて我が家の食卓に載った。やがて日本は高度経済成長 期に入り、ボク達もその波の中に取り込まれ、少年期の貧しく、それでいて輝くように楽 しかった日々は、いつか記憶の片隅に押し込められていっいた。 |
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夜毎飲み歩く盛り場から少し外れた寺の門前に、縄暖簾に「酔っぱらいお断り」の札が 下がる川魚料理の専門店を見付け入ってみた。共白髪の老夫婦が、川魚の臭みが抜ける冬 の間だけ暖簾を出すという、まことに小さな店をであった。川魚が焼ける独特の匂いが、 たまらなく懐かしかった。あの輝くように楽しかった日々の記憶が一気に蘇った。ボクは 懐かしい「鮒飯」を注文した。 寒に入るとよく、田圃の中を流れる用水路の深みで半冬眠するギンブナを、好物の赤虫 を、大根の輪切りに乗せて針に刺して釣った。僕らがころりと太ったフナを数匹持ち帰る と、父はホオと嬉しそうな顔をして、焼き干して甘露煮にしたり、叩いてフナ飯にして食 わせてくれた。フナ飯はいわゆる汁かけ飯でボクの大好物であった。岡山県南部に伝わる 郷土料理であるが、河川の汚染のせいか、川魚を嫌う時代の傾向のせいか、今ではすっか り廃れてしまった幻の料理である。子供のころ、父がどんな風に鮒飯を作っていたかの記 憶は定かで無い。子供の役割としては、三枚に下ろした鮒を小刻みにし、二本の出刃の背 でミンチ状になるまでひたすら叩くだけであった。 |
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川魚料理の店で出された鮒飯はまことに美味で、かつ上品なものであった。ただ父が食 わせてくれた鮒飯とは、どこか似ても似つかぬもののような気がした。父の鮒飯は見かけ は黒くて佳くなかったが、生涯の記憶となるような、粗野ながら深い滋味があった。子供 の頃刷り込まれた味について想うとき、田舎育ちの母は料理が得意ではなかったせいか、 いつも井戸端に三種の砥石を置き、キトキトに包丁を研ぐ親爺の背中ばかりが思い出され るのである。そしていつしかボクも、寒に入るとキトキトに研いだ包丁ふるい、黒く粗野 な鮒飯をつくり、気の毒な来訪者に、どうだ美味いだろうと自慢げな顔して食わせている のである。 |
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