「猫のポチ」
 我が家にポチと云う名の、脇腹あたりに炬燵で焼けこげ作ったような斑が一つある年老
いた白猫がいた。別に甘えてくるでもなく、その辺に勝手に居るといった感じの雌猫だっ
た。ポチが我が家に来て8年にもなったが子を産んだことがない。
 その頃ボクは、巣から落ちたカラスの雛を育てていた。猫がタマとって遊ぶには恰好の
獲物な筈だが、ポチは全く気に留めるふうでもなかった。巣立ったカラスは外に放ったの
だが、我が家の周りに居着き、学校から帰ってくるボクをどこからか見付け頭にとまりに
きた。ポチとも屋根の上でよく遊んでいた。後から近づきポチの短い尻尾の毛を引っ張る
のだ。
 そんな夏の在る日、ポチが忽然と姿を消した。小さな田舎村、山猫にでもならぬかぎり、
消息は知れるものだが、ポチの行方はようとして知れなかった。
 やがて夏休みも終わり、学校まで片道一里の山道通いが始まった。家の裏手が一寸した
峠になっていて、その向こうに溜め池を水源にする幾つかの棚田があった。始業式の帰り、
いつもの峠の上に、痩せて薄汚れたポチがボクを待っていた。ポチは先にたって山の中に
入っていき、怪訝そうに足を止めるボクを振り返っては、付いてこいとニャーニャー鳴い
た。
 雑木山を抜けると、春よくドンコ釣りにくる溜め池に出た。ポチは池の畔に建つ藁置き
小屋の中へボクを連れて行き、壁際に高く積み上げられた稲藁の上に飛び上がり、ボクに
も上がってこいとニャーニャー鳴いた。這い上がってみると、天井近くに作られた風通し
窓からもれる柔らかな光りの中に、まことに小さなやせっぽちな仔猫が一匹横たわってい
た。気が付けば、藁の上はビロードの様な艶したモグラの死骸がゴロゴロしていた。ボク
にはポチの行動の全てが理解できた。
 年老いて初めて生まれた、ただ一匹の我が子。腕白カラスに取られては大変と家を出て
生んだものの思うように乳が出ない。モグラを捕って与えたものの乳飲み子には食べられ
ない。困り果てたポチは、助けを求めてボクをここへ連れてきたのだ。
 熱い仔猫の体を両手に包み、家に連れ帰った。あの手此の手を尽くしたかいあて、仔猫
は元気に走り回るまでに大きくなった。仔猫はボクによくなついた。そうなればポチには
また不安のタネだ。屋根の上にはカラスのクロもいる。ポチは随分大きなった仔猫の首を
くわへ、ひきずるように何度も何処かへ連れて行こうとした。
 そしてポチは本当に仔猫を連れて家を出てしまったのである。麓の町を子連れの白い野
良猫がうろついているという噂を聞いた。ボクはもう探しに行かなかった。きっとポチは
自分だけの子と、二人だけで生きることを望んだのだ。この親子の事は今も度々思い出す。
その度にボクの目は汗ばんでしまう。
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