「むくどり」
 ボクには妙な特技がある。車を運転しながら、路傍に咲く小さな野の花や、梢の野鳥な
どを敏感に見付けてしまうのである。同乗者があれば大いに驚かれる。かといって脇見運
転している訳ではない。年間3〜4万H、ハンドル切り損ねたら千尋の谷、断崖の海に落
ちてしまうような道ばかり走り続けて、30数年間無事故である。 自慢たらしくなって
しまったが、それ故に、見なければ良かったものを見てしまったことも多々ある。
 この秋も群れなして渡って来て、わが家のベランダに手なずけた雀どもを追い払い、我
が物顔に騒いでいる椋達の顔を見ていると、今も忘れられない、あの話を書きたくなった。
 
 秋のある日、家に近い河の河川敷を走っていたときのことである。業者が積み上げた砂
利山の陰に動くものが目に入った。直ぐ鳥であると気付き、車を降りて見に行った。沙魚
釣り用らしい重りのついた、投げ釣り仕掛けを、胃の府まで飲み込んだ椋鳥がばたついて
いた。相当もがいたらしく、口から大量の血を吐き瀕死の状態であった。釣り針は相当深
く掛かっていて、抜いてやれそうもなかった。ボクはせめてもと、重りの付いた釣り糸を
切ってやり、その場を去った。後から後から悔恨の想いが湧いてきた。なぜ獣医か動物園
を探して、出来る限りの事をしてやらなかったのか・・・。
 
 数年後、ボクは南九州を旅していた。姶良で縄文土器を見て、翌日は高千穂峰に登るつ
もりで、その夜のキャンプ地を霧島神宮辺りに予定していた。
 隼人町を通り抜けようとしているときのことである。町の中心部を走る国道沿いの二階
屋の壁に羽をばたつかせる椋鳥を見てしまった。車を路肩に止め近づいてみると、通りに
面した二階屋の側面に貼り付けられた、トタン板の錆びた割れ目に片足を挟まれた椋鳥が、
懸命に足を外そうともがき、心配そうな仲間が数羽周りを飛び回っていた。その近くに二
階の明かり取りらしい窓が在るのだが、近所の人に聞いてみると、その屋の主人は家業の
写真屋を止めて、しばらく姿を見ないそうである。
 隣のオバサンが家に梯子があるからと、アルミ製の二つ折りした梯子を持ってきてくれ
た。庇さえない真っ平らなブリキ壁、梯子の最上段から物干し竿延ばしてもどうしても届
かない。椋鳥の脚はすでに折れていて暴れるたびに血が飛び散った。
 釣り針飲んだ椋鳥を放置したことが頭の中に渦巻いていた。日曜日の夕方である。なん
の手だても思いつかずにいると、地方新聞社の支局の看板が目に入った。支局で留守居し
ているらしい二人の女性に事情を説明し、何とか救助の手だてを探してくれるよう依頼し
た。彼女たちの困惑顔みて、無駄な頼みであったことを悟ったが、辺りは既に薄暗く、土
地勘に乏しい地で暗くなってからキャンプ場所を探すことの困難さをボクは身をもって知
っていた。
 ボクはそのまま立ち去った。出来る限りやったのだ、と言い訳してみても、また放置し
たという悔恨の情が脳裏から消えなかった。

 翌日、そんなことはすっかり忘れてボクは、赤い砂に脚を取られながら高千穂峰を登っ
ていた。眼下にエメラルドグリーンの水を湛えた火口湖が幾つも見え、山頂に緑青色した
天の逆鉾がデーンと立っていた。
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