「スタンド・バイ・ミー」
 自慢にはならないが、ボクは他人の腕を二本折ったことがある。もちろん子供の頃の話
である。一本は中学時代の柔道の試合中のことであり、もう一本は小学3〜4年のころの
ことである。
 
 当時の子供達は、お宮やお寺や原っぱ等、家に近い遊び場で自然にグループが出来てい
た。一つの遊び場内では、小学生は1年生から6年生まで、男子も女子も一緒に、互いに
棲み分けながら遊んでいた。ボク等の遊び場仲間にチャクヤンは居た。

 チャクヤンというのは、ボク等の学校の校医の息子で、オヤジである先生が横着者とい
う意味で、自ら付けたあだ名であった。ボクより1級上のひょろりとして色白な、いかに
もぼんぼんといった少年であった。
 
 
お宮の境内で相撲遊びをしていて、ボクが投げ飛ばしたとき、チャクヤンの右下腕骨が
ポキッと折れてしまったのである。両親は菓子箱を持って謝りにいった。
 子供の骨折は直ぐ治る。その夏、隣町を流れるY川で青のりが沢山採れているという情
報がボク等の耳に入った。夏休みのある日、6年生の少年をリーダーに、チャクヤンを含
む5人ほどの小学生がY川に出発した。その頃の子供にとって、別の学区に足を踏み入れ
ることは、敵地へ侵入するに等しかった。
 案の定、町境を出てしばらく行くと、ボク等の前に数人の中学生を含む悪ガキどもが立
ちはだかった。奴らは小学生ばかりの少人数を相手に、喧嘩する気もなかったのか「帰る
ときも待っとるけえの」と脅して、その場を去った。
 それはよくあるヤクザの仁義みたいなものであった。ボク等はY川に行き、銘々持って
きた魚籠に一杯の青のりを収穫した。弁当食べて、さあ帰ろうと言うとき、ずっと無口に
なっていたチャクヤンが「ボクはあの道を帰りとうない」と言い張った。皆も無言で同意
した。

 この青々とした川海苔が風に干され、香ばしく焙られた時のことが誰もの頭を占めてい
た。奴等に没収されることは我慢出来ないことであった。
 奴等に遭わずに帰る道はY川に懸かる、長い鉄橋を渡るしかなかった。ボク等は線路に
耳を押しあて、近づく汽車の気配がないか耳を澄ました。「よし」とボク等は鉄橋を渡り
始めた。鉄橋は中程が太鼓橋のように盛り上がり、その向こうに大きな入道雲が立ち上が
っていた。鉄橋の半ば近くに差し掛かった時、ボク等は、その白い雲の中に勢いよく吹き
上がる黒雲を見た。そして鉄橋の向こうに迫り出して来る蒸気機関車を見たのである。
 凄まじい汽笛の音とともにボク等は一斉に駆けだした。銘々が間近にあった、線路工夫
のための待避場所に飛び込んだ。ところがチャクヤンだけが線路の間に敷かれたバタ板の
上を走り続け、ボクの前で、ギャーーーと急ブレーキかけて火花散らす機関車の下に飲み
込まれてしまった。ボクは腰が抜けてしまい、その場をうごけなかった。
 汽車は鉄橋の上で止まった。機関士が飛び降り、客車の窓から一斉に顔が覗いた。 チャ
クヤンが機関車の下から這い出してきた。おーと言う安堵の声が辺りの空気を揺るがせた。
機関車に跳ねられる直前にぱたりと前に転け、線路の間に倒れ、轢死を免れたのである。
「熱い」と言って、ただ血の一滴も流さず這い出てきたチャクヤンであが、右手の小指だ
けが、すっぱりと無くなっていた。
 ボク等は、普段遊び場でもあった線路に耳を着け、列車の接近は無いと踏んだ。そのこ
とについて今も説明が付かない。2〜3H向こうから来る、コトンコトンと鳴る汽車の音
を何故聞き逃したのであろう。悪ガキへの恐怖心がボク等の耳を塞いだのだろうか。それ
とも初めての長い鉄橋を渡るという冒険心がボク等の耳を塞いだのだろうか。

 その夜も校医先生の元にボクの両親は、菓子箱下げてお見舞いとお詫びに行った。何は
ともあれチャクヤンは、ボクと関わって、右腕の骨を折り、小指まで無くしてしまったの
である。
 校医先生はこの事件がボク等、子供の心に重荷を残さないように充分配慮してくれた。

 間もなくチャクヤンは国立大学の付属中学へ行き、我が家は母方の親戚を頼り、隣村に
引っ越した。チャクヤンとはその後会っていない。数年前、すっかり様子の変わったその
町を訪ねてみた、中心部は区画整理もされなかったようで、駅前から真っ直ぐ北に延びる
道と、まちの中心を東西に貫く道がTの字にぶつかる場所に「O 医院」の看板が昔と変わ
らず掛かっていた。
 右手の小指の無いチャクヤン先生がきっと今も校医を勤め、町の人達の診察
をしているのだろう。こんなヤクザな者に成ってしまった自分には、がらりと医院の戸を
開けてみる勇気はなかった。 
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